嗚呼悲しみの富士山 山小屋バイト

パーティー(出発時) ナラ・ヨコカワ・フルタ・クロダ・ノジリ(後発)
メンバー(山小屋)
注)()内は勤務時の愛称
モリ(ゆきさんorゆきっぺ)カワサキ(ツブヤキorトラ)クロダ(デカorキティちゃん)

サカニワ(ニワor夜の帝王)チバ(チバちゃんorちーちゃん)イケダ(ナオちゃん)オオサワ
以後従業員? 社長(お父さん)社長の奥さん  親方(ヨシロウさん)勝美さん
天気(出発時) 曇り 時々 雨
出発メンバー 名前

紹介

ナラ 某学院大の山岳部員。自宅アパートかをり荘にヨコカワが引っ越して以来かをり一族を旗揚げ、襲名する。富士山では8合目富士山ホテルにて勤務
ヨコカワ 某学院大の山岳部員。かをり一族公認の「アニキ」にて自称「ヒゲ師」。自室が雀荘になったため本人は麻雀をしないのに大家から怒られるという苦汁をなめさせられる。富士山では8合目富士山ホテルにて勤務
フルタ 某学院大の山岳部員。ナラの高校時代からの後輩で、偶然かをり荘に住むことになった富士山では8合目富士山ホテルにて勤務
クロダ 某学院大の山岳部員。山岳部に入り雪崩式にかをり一族に入った。かをりにプロレスという文化を伝えた。富士山では7合目花小屋にて勤務
ノジリ 某学院大の山岳部員。ノジリズムの確立という偉業を成し遂げたノーベル賞モンの人。今回は別働隊ということで日をずらして出発。富士山では7合目東洋館にて勤務

 

花小屋従業員 名前 あだ名 紹介
  モリ    
  カワサキ    
  クロダ    
  チバ    
  イケダ    
  サカニワ    
  オオサワ    
  社長    
  親方    
  勝美さん    

 1998年6月某日 某学院大学学生課に、それは張られていた・・・。
そして全てはここから始まった・・・。

 少し時は戻り、同年4月。めでたく(と、いっても受験勉強なんて全然しなかったが)大学生となった私は、茨城から、金沢に引っ越した。引っ越しと言ってもたかだか大学生の一人暮らしである。物などほとんど必要としないだろうと、わりと適当に引っ越しを済ませた。しかし、いざ生活してみると、わりと不便なのでいろいろ買う物が出てきて、とくに、料理用具などは実家にいた頃なんて料理など全然しなかったのに一人暮らししはじめたとたんに、はまっちまったもんだから結局一番金がかかってしまった。そのほかに、学校が始まったら始まったで、教科書を買わされたのだが、これが高い。全教科で2〜3万を越えるのだ。また、高校時代に経験してたし、とりあえず部活には入ろうと思ってたため、山岳部に入部したのだが、これらの道具をそろえるのにも金はかかったし、ハッキリ言って1年の前期(とくに4月から6月頃)は金がかかりまくるのだ。

キミも富士山で働かないか!

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**********日給9,000円
お問い合わせ 富士山旅館組合***−**−****

 学生課の前に、こんな内容の張り紙がしてあった。
「食事付き日給9,000円はおいしいかも・・・」
この頃の私は極貧の中に生きていたため、まず金額が目に付いた。ちなみにこの頃の私はお昼に480円の日替定食を夢見て190円のうどん、もしくは180円のサラダを食っていた。また家では朝晩合わせて食費を300円に押さえなければならなかった。ゆえに、食事付きで、尚かつ一日9,000円もらえるこのバイトはまさに地獄の中に見つけた蜘蛛の糸のようなものであった。しかし、一人で行くのはチョッチ心もとないので、ノジリに声を掛ける。そうすると、もうノジリは応募したとのこと。ついでにナラ・ヨコカワ・フルタも行くとのこと。な〜んだみんな行くのか。

 ハガキを出してから数日後。富士山旅館組合から往復ハガキが届く。それによると、私は7合目の『花小屋』に配属されたようだ。7月16日から8月14日までを希望したのだが、もう少し働けないかと書かれる。特に問題ないので17日まで働くことにする。しかし、花小屋とはなんとかわいらしい名前だろう・・・。もしかしたら、山小屋らしくないところではないのだろうか?2週間もしたら全員ハガキが返ってきて、どこの小屋かみんなで公表し合った。
クロダ  7合目花小屋
ノジリ   7合目東洋館
ナラ    8合目富士山ホテル
ヨコカワ 8合目富士山ホテル
フルタ  8合目富士山ホテル
ナラ・ヨコカワ・フルタの3人は8合目希望と書いたら同じ所に配属されたようだ。
 7月14日 15:10予定より若干遅れたが、富士山に向かって出発する。ルートは、まず車で長野県白馬村まで行き、ヨコカワの実家に車をおく。そこから神城駅まで歩き、信濃大町行きの電車に乗る。松本駅で電車を乗り継ぎ、夜行で大月駅まで行く。明けて15日、大月駅から富士急行にのりかえ、河口湖駅まで行く。登山がバスが出てるので、五合目までいく。あとは、自分の足で配属されたとこまで行く。しかし肝心の電車の時刻は調べてないので、行き当たりばったりになる。しかし、4人もひとがそろうと何となく心強く、なんとかなるだろう的ムードが終始ただよってた。

 7月14日 15:10予定より若干遅れたが、富士山に向かって出発した。ヨコカワの実家は白馬で朝日館という民宿を開いている。朝日館に着いたのは18:10頃少しくつろいだ後、食事を頂いた。非常に美味いのだが、如何せん量が多くて、4人ではとても食べきれない。こういうときノジリがいたら「あ〜うまいわ〜」といいながら全部、むしろ、他人の分まで食うのだろうが、残念なことにノジリは実家にいっぺん帰ってから富士山に登るとのことで、別行動をとっていたためここにはいなかった。21:00朝日館を出て神城駅に向かう。歩ってすぐの距離にあった。神城駅自体は非常にかわいい駅なのだが近くに白馬駅があるのにこの外装は無駄じゃいかと思ってしまった。で、信濃大町で乗り換え、松本駅から大月駅行きの夜行電車に乗り電車の中で寝た。

 7月15日 私が一番先に目覚める。何気なく窓の外を見てたら電車はどんどん減速していった。どうやらどこかの駅に着くようである。「お〜つき〜。お〜つき〜」構内アナウンスが響く。ってやばい!急いで全員起こして降りる。間一髪ギリギリでまにあった。そのときザックといっしょに座席カバーも掴んできてしまったがそれはないしょである。しかし今度は富士急行の始発がまたでないため足止めをくらう。現在時刻4:20 で、富士急行の始発が6:21 やることもないので、ただ、ぷらぷらと時間をすごした。約1時間かけて電車は河口湖駅に行く。そこで、さらに、2時間ほど駅で待ち、登山バスで約1時間かけて5合目に着いた。あいにく、この辺はガスに覆われており、この先もこの調子とのこと。ともかく、ここからは歩きで、クロダは7合目に、ナラ、ヨコカワ、フルタは8合目まで行かなければならない。が、全員縦走程度の装備をしてきたのだが、ほかの登山客は明らかに軽装備で、完全に我々一行は浮きまくっていた。6合目までは登りも緩やかで緑も多いのだが6合目をすぎると一転、緑全然なく、石灰質の地面がただあるだけになる。さらに延々とつづら折りが続き、面白くも何ともない道になった。5合目登山口から約1時間後7合目花小屋に着く。
 7月15日 12:25花小屋到着。ファンシーな名前とは裏腹に、非常に現実的な小屋であった。富士山は見ての通りに、非常に勾配が急で、この7合目にもあまり平坦な所はない。まぁ、ちょっと考えてみれば、分かることだが、手の込んだ作りの山小屋なんて出来るわけがないのだ。まぁ、一言ハッキリ言うとボロイのだ(あ〜あ言っちゃったよ)。まぁ、グチっていてもしょうがないし、3人と別れ、小屋の中にはいることにする。すると中には老夫婦と、年は同じくらいと思われる女の人が囲炉裏を囲っていた。なんだ、この日本昔話的な風景は・・・。老人は明らかに私のことを、邪魔者としてみているし、なによりここの空気は外の空気とは明らかに違う。とにかく、私はバイトに来たということを伝えると、さっさと中に入れといわれた。どうやら、ドアを開けっ放しにしていたのが悪かったようだ。中にはいると、今までガスの中を歩いてきていたためだろう、服がビジョビジョに濡れていた。夏とはいえ、ここは標高が高いためかなり冷える。取りあえずということで、まず着替えさせて貰う。着替えているうちに昼食を用意して貰った。明らかに残り物なのだが、このときはなぜか美味く感じた。

 「寝ろ!」これが老人(ここの責任者らしいためバイト仲間では社長と呼ぶことにした)からの初仕事だった。たしかに、昨晩は電車の中だったし、ゆっくりしていられなかった。ようやくちゃんとした休憩がとれるというわけである。しかし、これが、これから始まる33日の労働の中で一番つらい仕事になるとはこの頃の私には知る由もない。
 あまり詳しくは覚えてはいないが、起きたのは7時頃だったと思う。だいぶスッキリした。で、メシを食う。食後・・・「お前は寝てろ!」要は、私の仕事は16日から。だから、今から働いてもらうのは忍びないとのことだが、再びふとんに入っても眠れない。ハッキリ言ってもう寝疲れた!仕事を覚えたいと懇願するが却下。寝ろの一点張り。渋々布団に入るも、眠れない。30分くらい寝て、目覚めて1時間くらい経って30分くらい眠るという、終わることのない地獄を味わされた。

 朝。山の朝は早い・・・。のはあくまで、従業員の話。今の私は客扱い(それ以上?)なのでこれでもかって位布団の中に押し込まれていた。朝食は6時頃から。・・・ようやく布団から解放された私は思わず伸びをした。あぁ直立歩行が出来るってすばらしい。今日から勤務だし、もうあの睡眠地獄から解放されるんだ。私は食事よりもそのことが嬉しかった。が、そんなに人生甘くはない。男衆は、4時からの勤務らしい・・・。そう、これからさらに8時間の睡眠地獄が再び始まるのだ・・・。結局私は働くに至るまでに25時間程度の連続睡眠地獄に耐えねばならなかった。
 結局、最後の8時間の睡眠は私には出来なくて2時頃に目覚めてしまった。もっとも、私より先にこの小屋に来ていた彼も2時頃には目が覚めていたのでお互いに自己紹介の後、仕事の内容なんかを聞いていた。彼からの情報はこのようなものだ。
一.彼の名前はカワサキ
一.カワサキは四日くらい前にここに来た
一.私と同い年である
一.日曜日の朝食時にはお店のジュースを一本もらえるらしい
一.ここの主な仕事は、焼き印の勧誘。及び、宿泊客への接客業務
一.私たちの主な仕事は夕方から深夜にかけての焼き印客の勧誘、宿泊客への接客業務。要は、店番
一.深夜は静かに仕事しなければならない
一.客の送迎はない
一.社長はかなり厳しい
一.社長の息子もかなり厳しい(彼のことは親方と呼んでいた)
一.BOOY最高!!
結局4時まで話題はもたず、やることもないので、3時くらいに活動していた。(でも寝てろとグチられた)
 花小屋のはんてんを着てさぁ初仕事!仕事は手取り足取り教えてもらうのではなく、人がやってるのを見て覚えさせられた。もっとも、この頃にやっていた仕事は簡単で、この程度でも覚えることが出来た。さらにこの頃はまだ客の入りも多くはなく、結構余裕があった。仕事の合間に最初にあった女の子とも自己紹介が出来た。彼女の名はユキといい、私より一つ年上らしい。さらに、たわいもない事を話しているうちに飯も食い終わり、10時になった。女性陣(と言っても今のとこユキさんだけだが)は寝る時間らしい。ここからは男衆が二人で仕事をしなければならない。しかし、社長は寝るため睡眠時間を除いて唯一自由(?)になる時間なので、むしろ楽しかった。もっとも、まだ二人とも仕事を完璧に覚えていないため、時々社長を起こすはめになるが・・・

 ここで、二人の仕事ッぷりを簡単に説明
16時・・・・・・・・起床 歯を磨き顔を洗ってからお仕事開始
17時・・・・・・・・カワサキは発電器をかける←山の上だから電気は自家発電!
18時・・・・・・・・晩飯 みんなして半端じゃない量を食う
19時〜22時・唯一花小屋総動員で働いている時間
22時・・・・・・・・女性陣は睡眠タイム 深夜の仕事開始!
23時・・・・・・・・お茶の時間←要はおやつだね
24時〜2時・・・真面目に仕事したり、焼き印の練習したり、おしゃべりしたり、社長に怒られたり
2時・・・・・・・・・・夜食←深夜のお昼と私は勝手に呼んでいた
3時〜4時・・・・・この頃から空が明るくなってくるので、お天気を気にする。御来光が見られるようだったらお客を起こす。その後カワサキは発電器を止める。私は朝のゴミ拾い。あと、女性陣をたたき起こす!
5時〜6時・・・・・この頃には御来光がみられなくても、客を起こして、お弁当を注文した客にはお弁当を配る。そのあと、客を送り出してから小屋内の掃除。客室の掃除及び寝床の整理
7時・・・・・・・・・・朝飯を食って歯を磨いて寝る
と、まぁはじめはこんな役割で仕事をやっていた。もっとも、最終的には男衆も4人まで増えたため、仕事内容も若干変わってはいるが・・・それは、後で書こう。

 ようやく一通り仕事を覚え、カワサキに至っては焼き印まで出来るようになったころに、女の子の二人組がバイトとして花小屋に来た。二人は北海道から来た娘で、チバさんとイケダさんという娘だ。チバさんは去年もここで働いたらしく、即戦力らしい。二人とも社会人でいまはプータローとのこと。彼女たちがバイトの中で最年長者である。もっともまだ24歳とのことなのであまり年上という気はしなかった。私はチバさんをチバちゃんと呼びイケダさんをナオちゃんと呼んでいた。ちなみに第一印象は
チバちゃん=小麦色(といっても下品ではなくむしろ健康的)←ちなみに本人のこのことを言ったら怒られた
ナオちゃん=ポパイに出てくるオリーブ
である。
この頃の変化としては、社長の奥さんが山を下り、代わりに親方の奥さん(勝美さん)が来たことだ。勝美さんは3時頃まで起きていてくれるため、夜食が結構豪華になった。また、カワサキが焼き印を覚え、二人とも夜中に来る客への対応を覚えたため、社長(もしくは親方)を起こさなくても良くなったので、静かにさえしていれば、深夜は好き勝手に出来るようになった。

さらに仕事を覚え二人とも一通りの仕事が出来るようになり、さらに大変な仕事を任されるようになった頃に、ようやく男のバイトが来た。彼、サカニワは見るからにガッチリした体つきをしていて、なかなか頼もしそうである。この頃には仕事も忙しくなり、深夜でも二人の手に余る事もあったので、ここでの補充人員は非常に助かる。基本的な仕事自体は難しいことも何もないのでサカニワもすぐ覚えた。また、いい加減二人とも夜中に話す話題がつきてきたので、そっちの方の期待も大きかった。頼むぞ、サカニワ!

 ・・・で、その晩。期待のサカニワトークが始まった。まずは軽くジャブから。
クロダ「何歳?」
サカニワ「21です」
カワサキ「あ、ウチ等より年上だ・・・」
サカニワ「え、何歳ですか?」
カワサキ「18」
クロダ「あ、オレ19・・・」
カワサキ「でも同じ学年じゃん」
クロダ「まぁね」
クロダ「あ、そういえばどっから来たの?」
サカニワ「あ、山口です・・・」
カワサキ「あ、敬語使わなくていいよ、ウチ等の方が年下なんだし・・・」
サカニワ「あ、そうさせてもらうわ」
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 で、1.2パンチ・・・
クロダ「え、彼女いるの?」
サカニワ「モチ!」
クロダ「大人だ・・・」
カワサキ「え、名前は?」
サカニワ「ナオ」
クロダ「え、ナオちゃんってウチの小屋にもいるやん」
サカニワ「げ、どういう漢字?」
クロダ「奈良県の"奈"と中央の"央"」
サカニワ「 あっちゃ・・・かぶってるし・・・で、名字は?」
クロダ「池田」
サカニワ「あ、良かった・・・オレ池田さんって呼ぶわ」
カワサキ「イイんでないの?どうせ、そっちの”ナオ”さんはいないんだし・・・」
サカニワ「いいの!気分の問題!!」
クロダ「あ、そう・・・」
サカニワ「そういえば、サークルとかで飲み会やんないの?」
クロダ「やるよ」
カワサキ「おれ、酒あまり飲めないし・・・」
サカニワ「で、”注)お持ち帰り”とかしない?」注)お持ち帰りとは、飲んで酔っぱらった娘を家なりホテルなりにつれていくアレのこと。
クロダ「ハッハッハ!お前はそういうキャラか!!」
サカニワ「おうよ!で、クロダはどうよ?」
クロダ「基本的に部活の飲みだから、”お持ち帰り”はマズイっしょ」
クロダ「それにオレは一気に飲んで一気に潰れるからそんな暇ないのよ」
サカニワ「で、カワサキは?」
カワサキ「ん?オレは焼鳥屋で飲むのが好きだし・・・」
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 で、フィニッシュブロー・・・
サカニワ「甘いな」
サカニワ「これから夜の帝王講座でもするか」
クロダ「・・・・・」
カワサキ「お願いします!帝王!!
クロダ「あ、もう5時だ・・・」
カワサキ「じゃ、仕事始めるか・・・」
クロダ・サカニワ「お〜う!」
・・・かくして、サカニワはデビューを華々しく飾ったのであった。

 それは、忘れもしない8月3日・・・の1日前の2日にオオサワが登場した。彼は花小屋の中で伝説の人の紹介でやって来た人で、期待のホープであった。彼は、背は高くないが、ずんぐりとした体型で更に角刈り。柔道経験者らしいが(っていうか現役の柔道部員)そんなこともどうでもいい。要は、言いたいことは一つ。花小屋のメンバーの中で一番はんてんが似合う男。いや、あえてここは漢と呼ばせてもらおう。しかも、19歳と未成年者ながらも焼き印を押すために燃いた焼きごてで、たばこに火を着けるという荒技をやってしまったので、もう貫禄爆発!焼き印を押しているポーズをさせたらとても新人と思えないくらいサマになっていた・・・
「・・・何となく悔しいよね。いきなり堂に入ってる人見ると・・・」(クロダ 後日談)

 ある日、富士山に結構な大雨が降った。もっとも、この年の富士山は雨が多く花小屋からご来光が拝める日は多くはなかったのだが、そのなかでも、かなりの規模の雨が降った。おまけに外はメチャメチャ混んでる。どれくらい混んでるかというと、花小屋から上を見回しても下を見回しても、人の列が途切れてないのが分かるくらい混んでた。これが初登山だったら山嫌いになるな・・・
 さて、男衆は夜仕事をするのだが、これが大変だった。夜になってもいっこうに雨の勢いは収まらず、雷もなってきた。雷が鳴ると電話のヒューズをぬく仕事があるのだが、これが、部屋の高いところにあるため、一番背の高いクロダの仕事だった。しかし、このときクロダはめんどくさがって、サカニワに頼んだのだが、これが後にちょっとした事件になった。サカニワがヒューズをぬいたその時ひときわ大きい雷音が響いた。そう、雷が外の雨樋に落ちたのだ。そして、「バチッ」とも「パーン」ともとれる音と共に花小屋の中に青白い光が広がった。そして、サカニワはふっ飛んだ。みんなに一瞬の静寂と混乱が訪れた。そこには、倒れたサカニワ、つながらない電話。最悪の事態を想像した人もいただろう。電気だけは被害が無く白熱灯は未だ煌々と、小屋の中を照らす。
 「お〜痛て〜」とりあえず問題はなさそうなサカニワの声。一応意識はハッキリとしているようだ。被害が無くてなによりだ。この後彼はなぜか感電する機会が増えたがそれはまた別のお話・・・
 この日じつはもう一つ事件があった。親方が負けたのだ。この雨で、山頂に行くのを断念したツアー客でごった返しており、客室は満員で、寝床はすし詰め状態になっていた。もちろんこれ以上宿泊客を泊める事はできない。そんな折りに、2人組の客がやってきた。夫婦のようだが、雨具を忘れたようで、全身びしょ濡れだった。しかし、そんなことより目を引いたのは、女性の顔色だった。顔は青白く唇は紫に変色していた。だいぶ衰弱しているようで、グッタリとしたままなにも言わない。ただ、息の荒さだけが生者であることを証明していた。どうやら、単なる高山病ではないようだ。しかし、外には、たくさんの人が数珠繋ぎになっており、ここでこの人を入れるとわらわらと人が入り込んでくるのが目に見えている。客室にはもう寝ている人がいる。さらに客室は満杯で毛布の確保さえままならない状況になっている。その上にその客は4人パーティーを組んでいるため、どう見ても、ここに人を泊めるのはもしかしたら得策ではない。これらの状況判断後、一つ先の小屋に行ってみてくれということになった。しかし、相手は今泊めてくれといって退かない。最初はカワサキが相手をしていたが、親方が後ろから出てきた。
親方「ダメダメ!うちはもう客泊められねーよ!」
客「お金は払いますから」
親方「金もらっても泊められねーものは泊められねーよ!」
客「今死にそうなんです!」
親方「そんなモンただの高山病だ!山下れば治る!」
客「この人でなし!この人が死んだらどうしてくれるんですか!!!」
親方「そんなモン知らねーよ!今までほかっといたのが悪りーんだろ!!!」
客「でも外は雨も降ってるし、風邪もひいてるみたいなんです!!!!」
親方「そこまで面倒見切れるか!!山に来るんだから雨具くらいもってこい!!!!」
そんな、会話が30分くらい続いたが、親方も流石に病人のことが心配になったのか、ついにその客と同行者を小屋の中に入れることにした。どうにかして親方が毛布を一つ調達し、囲炉裏の部屋で寝かせる。同行者には申し訳ないと断りを入れ、雑魚寝してもらう。ハッキリ言って患者の方はかなり危険な状況で、高山病と肺炎を併発しているようだ。ホントは救護センターに行ってもらうか、救護センターの人に来てもらうかした方がいいのだが、電話は通じないし、呼びにいくにしても、この雨の中歩くのは危険だ。二次災害すら起こりかねない。とりあえずということで、風薬を飲んで寝てもらった。一番泊めたがらなかった親方は、その罪悪感か、山小屋の主としての責任のためか、せっせと看病し、宿泊費をもらうのを拒否した。翌朝、晴天とはいわないが、雨は上がり、患者も本調子ではないにせよ、どうにか自力で帰れると判断し下山した。
 もし親方があのまま客を泊めないでいたら、あの人の命はどうだったのか想像に難くない。しかし、あの客にも多々問題点はあった。富士山は観光地化してるし五合目までバスで行けるなど交通の便もよい。しかし富士山は3000mを越す山であり、登山の心得のある人はそれがどれだけのことか知っている。もちろんそういう人は装備をしっかりしてくるし、引き際も心得てるため、大事無く登山を楽しんで帰ることができる。大事を起こすのは常に山をなめてるひとだ。親方がこういう人の宿泊を拒否する気持ちは分かる。彼等は、マナーを知ろうともしないくせに、いざというときは泣き寝入りしてくる事が往々にしてあるからだ。もっとも、親方が折れたのはこれが最初で最後だった。

 で、忘れもしない8月3日某中学校の立志のイベントとして富士登山があったのだが、150人収容の花小屋に200人泊めるという荒技をした。それ自体は問題ない。問題は、天気と学校側の判断ミスだ。まぁ、ここまでは我慢できる。最大の問題はみんな理性という物を忘れた獣の山だったのだ。ハッキリ言って、思い出したくもないので、書きたくもないのだが、とりあえず、日記風に一言・・・
「従業員みんなキレてましたが、それも一時で収まりました。なぜなら、いくらキレてもどれだけ怒っても一向に状況は好転しなかったからです。従業員のみんなは彼方の方へ逝っちゃってました。その時僕の心の中は全てを受け入れたフランダースの犬状態になってました。」
 その日仕事を終えたユキさんが花小屋を後にしました。

 ある日ちょっとした事件が起こった。いや、別にたいしたことないんだけど親方の息子が、高校生で、今ちょっとグレてまして、そのことで親方と勝美さんが、山を下りました。もっとも、代わりに社長が復活したので結局はよけい忙しくなったんだけど・・・

 さて、各観光地ではお盆といえばかきいれどきなのだが、富士山はマイカー規制というものがあり、お盆を含む一週間は一気に客が減るのだ。これが、山梨県が勝手に決めるもんだから、みんな知るわけない。中途半端に遠いところから車で来た人なんかは寝耳に水の状態で有料道路で止められるもんだからたまったもんじゃない。これを読んで今後富士山に登ろうとしている人は山梨県の観光局に電話してからいきましょう。多少話しがずれてしまったが、この頃になると男等の働く夜、特に22時以降はホントに仕事が無くなる。まぁ、マイカー規制は布かれてる訳だし、個人で山頂御来光拝みに深夜から山登る人はいないわけで、もっぱらこの頃の仕事はツアー客の脱落者の面倒見くらいだ。もっとも、それも24時頃にはみんな寝かすので、たまに寝ぼけた客の面倒や外国人客の接客くらいだ。これが不思議なことに盆以降の富士山は外人客が半端じゃなく多く、昼で5:5夜で8:2の割合で外国人が来る。なにせ、深夜なんぞは、日本人を見るのが珍しいという、まさに日本の中の外国人街となる。

 店員の目から見る日本人観光客と外国人観光客

日本人の場合

雨具等の準備をしないで、金で何とかなるだろうと考える(が、どうにもならないことが多い)
売店や、焼き印頼むときわれ先にとばかりに駆け込む
泊まりたいときに、小屋が満杯で泊めることができないときにでどうにかさせようとする
客を寝床に詰めて寝かせたらワザと聞こえるようにグチをこぼすが、面と向かって文句は言わない
価格設定が高くても、妥協して金を払う

外国人の場合

準備は万端。8合目の富士山ホテルではガスコンロ持参でバーベキューをした強者がいたそうだ
売店や、焼き印頼むとき軍人のごとく整列する
泊まりたいときに、小屋が満杯で泊めることができないときにハッタリでどうにかさせようとする
客を寝床に詰めて寝かせたら堂々と文句を言い要求が通るまでなんとしても粘る
価格設定が高かったら、どうにかしてでも値切る。値切れなかったら逆切れする

上の図はタイトルの通り観光客についての比較である。見方はいろいろあるだろうが、従業員共通の意見として、外国人の方が仕事はやり易いというのがある。ハッキリ言うと外国人はちゃんと勉強してきているし、自分の体力との相談ができる人が多いのに対し、日本人は何とかなるだろう的な甘えがあるのだ。富士山は3000m級の山であり、それなりの心構えがないと困る。野球をするのにグローブを忘れるわ、革靴履いてくるわでは、そいつと野球する気にならないのと同じく、山登るのに雨具を忘れたからといって、ハイそうですかと、小屋の中に入れる気がしないのである。非常識なヤツに良心的な商売はできない。せめて日本人も着替えと雨具くらいは持ってきてくれるとこっちも仕事を気持ちよくできるのだが・・・忘れ物をして困るのは忘れた本人である事を自覚してほしい。

 8月15日予定より2日早くクロダは下山した。実は3日くらい前に思いの外儲かってないから早く下山してくれということになった。クロダとしては特に問題がなかったためこれを承諾した。8月15日午前0時日付の変更とともに、クロダの仕事は終わった。外に雨は降っていない。山頂まで行ってみよう。クロダは深夜の山道を一人で歩く。富士山名物六角棍を片手にしてひたすら歩く。各小屋々で、焼き印を押してもらいながらトテトテ歩く。7合目の東洋館にノジリがいた。8合目の富士山ホテルにはヨコカワとナラがいた。クロダは初期メンバーのうち一番最初に下山する。朝4時を過ぎた頃クロダは山頂の火口付近にいた。風が強い。立っているのもままならないくらいに。空が白々と明るくなってくる。強風のせいで雲がクロダには迫ってくるように見えた。そして御来光。あまりスッキリとした御来光ではないが、クロダはそれくらいで丁度いいと思った。また来ようという気になれるから・・・・・

悲しみの富士山 山小屋バイト編 完

 

特別付録その1

登山に持って行く物リスト
重要度 道具名 コメント
登山靴 運動靴でもよいが足首が固定される物が望ましい
A ザック(リュック) 大きい物は必要ないが、25gから30g位はほしい
A 雨具 防寒具にもなるのでレインコートが望ましい。ゴアテックスはなお良い
C 行動食 安く済ませる気ならおにぎりとかがよいが、ゴミの問題とかあるため、売店が無難
A 着替え 天気に関係なく必要。雨の時は言うに及ばず、晴れてても必ず持っていくこと
防寒具 風を通さないウィンドブレーカーなどが適当。レインコートや最悪ゴミ袋でも代用可
B クスリ 湿布と、風邪薬などがあると良い。あと、睡眠薬も?
C 酸素 気休めでしかなく、以外と場所をとる。なにより高山病には期待ほど効果はない
タオル 汗はこまめに拭いた方が後々の疲労に差が出る。清潔なタオルは医療品にもなる
適度に補給するべき。1g=1kgと以外と重いので注意。各売店で買える
A お金 2万円から3万円くらい必要。なんだかんだ言っても頼りになる
B 軍手 7合目の最初から8合目の中程まで岩場なので保護のためにあっても良い
B 登りでは邪魔だが下りの時は以外と活躍。足腰に自信のある人は無くても良い
B 耳栓 山小屋の寝床はすし詰め状態のため、いびきとかで眠れない恐れアリ
A ビニール袋 2〜3枚もっていくだけで何かと役に立つ。着替えとかはこれに包んで持っていくこと
B ラジオ 天気もさることながら、数珠繋ぎで先に進めないときの暇つぶしにも・・・
C 地図 迷うことはほとんどないが、傾斜とか分かるとペース配分がやりやすい。
B 時計 ペース配分もそうだが、これも以外としよう頻度高し
C 手帳(と筆記具) 山行記録を取っておくと、後々便利なことがあるし、結構記念になる
B ヘッドランプ 山頂が来光が見たいときは必須。こだわらなければ推奨
A 携帯電話 NTTの努力によりついに利用可能に!!いざという時のために

 

特別付録その2

営業裏話

 まず、富士山登山には3つの方法があります。まずは個人で5合目まで車(もしくは各交通機関)で行ってから山頂を目指す方法。次にツアーを使う方法。最後に個人で登山口(浅間神社)から登る方法。それぞれに特性があるためどれがいいと一概に言えませんが、一番楽なのはツアーだと思います。まず、登山口までのアクセスをあれこれ考えなくてもいいし、宿泊できないということはまずありません。しかし、登山中もし多少調子が悪くなったらその時点で容赦なくリタイアを勧告されます。団体のペースについてこれないと判断された時点でも同様のことが言えます。もっとも、人間(特に日本人)は協調性を大切にするため、多少つらくてもどうにか周りに合わせようとします。結果、ヒーヒー言いながらも山頂にたどり着けるということもありますので、団体のペースをどう取るかによって善し悪しが決まってきます。団体のペースが苦手という人は、個人で5合目から山頂を目指しましょう。個人といっても1人きりで登るわけではなく、3〜4人のパーティーを組むのが良いと思います。これだと多少のわがままは利きますし、なにより自分のペースで登れるのが大きいです。しかし、富士山ではお盆を含む1週間の間、マイカー規制という物が布かれ、自家用車で5合目の駐車場までの乗り入れはできません。あらかじめ調べておくことをお勧めします。さて、楽ではありませんが、一番確実なのが浅間神社から登る方法です。これだと6時間近くよけいに時間がかかる恐れがありますが、体力に自信がある人はなにも心配することありません。富士登山マラソンで富士吉田市市役所から山頂まで2時間切る人もいるんですから・・・。それになにしろ、自分の足で山頂にいくのです。5合目から登ったのとは充実感のケタが違います。それに、マイカー規制もなにも関係ありません。堂々とお盆に登山をすれば道中快適なことこの上なし!もっとも体力が必要ですが、チャレンジする価値はあります。
 花小屋で営業していて一番よく来る質問が「無料休憩所があると聞いたんですがどこですか?」というやつです。極論をいうとあります。しかし、それは8合目の富士山ホテルまで行かなければありません。標高にして約1300m先、時間にして約3〜4時間といった所です。とてもじゃありませんが、はなっからそれをあてにするのは賛成できません。少なくとも、5合目から花小屋までの標高差約500mこれを読んでる人で、富士山で無料休憩所など無いと怒られた方。すくなくとも、無料休憩所は遙か彼方先の話しです。あまりあてにしないように。